ホテル宴会サービスのProfessional Mind
※ブライダル産業新聞8月1日・11日合併号掲載
名古屋 東急ホテル(名古屋市中区)のバンケットサービスマネジャー猿田純氏は、ホテルマンとしては異色の経歴を持つ。
ホテルでの仕事をスタートしたのは31歳の時であり、配膳スタッフとして同ホテルで宴会サービスのキャリアを積んだ。その後40歳でホテルに入社し宴会セールスを経験、昨年3月に現場に復帰する形でマネジャーに就任した。
コロナによってそれまでの連続性が途切れた宴会サービスの現場を立て直しつつ、今の時代に合わせたマネジメントを新たに構築する役割を担っている。

バンケットサービス マネジャー
(名古屋B.M.C.)
猿田 純さん
31歳でホテル配膳の仕事をスタート
大学卒業後、全国ツアーを回るなど音楽に励んでいた猿田氏。31歳で音楽活動を止めた際、アルバイト経験のあった飲食サービスの仕事をしようと考え、よりレベルの高い仕事を求めてホテルでの配膳の仕事に就いた。もっとも、周りのスタッフは大学生中心。自分より若いながら経験豊富な社員も多かった。

当時の宴会サービスの現場はまだ昔気質の雰囲気も残っていて(笑)、それこそ学生から命令口調で指示を受けることも日常茶飯事でした。ホテルサービスの仕事に対して持っていたイメージとのギャップも大きく、バックヤードはまさに戦場のような状況で、荒々しい言葉が飛び交っていました。
常雇になる前の研修期間は、特に大変なことも多かったという。1 人でアルバイトや厨房スタッフとやり取りする必要も出てきた中で、その振る舞いが重要となる。例えば、会場準備の対応やビール提供のタイミングを宴会の進行、趣旨によって変更せざるを得ない場合、本来であればその理由をしっかり説明しなければならない。ただ経験も浅いためうまく伝えきれず、指示を出しても他の人はこうだったという抵抗もあった。

人間関係が非常に大切で、そこは時間によって少しずつ解決していきました。同時に、説明の仕方なども慣れてきて、また黒服を着るようになった後は、その影響力が大きかったですね(笑)。
苦しい時期を経験しながら、1 年も経たずに常雇になり、5 年目にはキャプテンとなった。その後40歳の時、同ホテルに宴会セールスとして入社。営業の仕事は順調で、コロナ禍を除いて売上が前年を下回ったことは一度もなく、常に実績を上げ続けていった。

どうすれば紹介をもらえるかを、常に考えていました。紹介を受けるために、ホテルの営業担当者があまりやらなかった、プライベートな集まりにも積極的に参加。例えば日本酒好きなメンバーで会をやると聞けば、そこに参加し繋がりのある人を紹介してもらいました。また仕事をもらった際には、必ずお礼の挨拶に出向き、関係を深める努力も欠かさず。ホテルに来る際には必ず顔を出し、そこで別の人を紹介してもらいすぐに営業訪問をするという対応を心掛けていました。
これまでの経験が活きた面もある。営業を始めた時に周りから「ゴルフを始めるといい」とアドバイスされたが、そこまで興味を持てなかった。その代わりとなったのは20代の時期に励んでいた音楽活動であり、音楽好きな顧客と共通の話題で盛り上がり、演奏会などがあれば必ず顔を出した。共通の興味関心の延長で、人脈はどんどん広がっていった。
また、宴会サービスの現場経験も武器になった。法要、叙勲パーティーなどの相談に対し、顧客は具体的なイメージを持っていないことも多い。そこで実際の宴会の事例をいくつか紹介し、そこからヒントを得てもらうことを大切にした。結果として、「それなら全部を任せる」と言ってもらうことも多くなり、自ら営業活動をしなくても、問合せは自然と入るようになった。
昨年 3 月、宴会サービスの現場を仕切るマネジャーとなった。コロナ禍でのベテランスタッフの社内異動、退職などによって、宴会サービスの現場運営に課題も発生しており、もう一人のマネジャーと共に、フォローし合いながら立て直しを託されている。

業務全体の大部分を占めているのが、人材マネジメントです。
現在はマネジャーとして、人員配置や業務管理も担っていて、顧客との相性を大切にしています。この業種ならばこのスタッフ、このタイプの顧客ならこの担当というように、相性を意識した配置をしています。
さらに重要なのはキャプテンとリーダーの相性。その関係性が悪いと、業務効率は著しく落ちます。営業からの手配書では網羅できない現場の詳細は、キャプテン経由でリーダーへと伝わりますが、噛み合っていないと現場スタッフは正確に動けず、結果としてサービスの質も低下していきます。そのために、普段からスタッフ同士の関係性には常に気を配っています。
働きやすい環境づくりの役割も担う
先輩からの技術継承がコロナにより断絶した状態で、社内のスタッフ育成も大事なミッションとなっている。以前は当然のように行っていた業務手順が、いつの間にか省略されていたケースも多々見受けられたからだ。例えば、カトラリーをセットする前、グラスも必ずクロスで拭くといった作業は、人材不足で簡略化が進み、本来の基準は曖昧になっていた。正しいやり方を知らないままに、省略を効率化と捉えてしまったことに起因しているからこそ、その基準を今一度再構築している。

教育のアプローチも大きく変わってきています。私が初めてこの仕事に就いた時とは、教え方も接し方も全く異なります。そこで気を付けているのは、職場環境の改善。スタッフ同士もあだ名で呼び合うのではなく、キチンと“さん付け”で声を掛けようといったことから始めました。若いスタッフの定着も考慮しながら、働きやすい環境づくりを進めています。
宴会サービスの仕事の魅力を伝えていくことも必要だ。昨年約10年ぶりに現場に復帰したわけだが、婚礼や法要、企業の周年パーティー、叙勲祝賀会といった、人生の節目に関わる場面に立ち会えることに、大きなやりがいも感じている。

私自身年齢を重ね、親の立場に近い目線で婚礼を見守ることも増えました。たとえば、ベールダウンの際の母親の表情、新郎にジャケットを着せる瞬間など、そういった感動的な場面を間近で目にすると、胸に迫るものがあります。セールスにいたことで10年ほど現場から離れていた時期もありましたが、戻ってきて改めて結婚式の価値を感じています。こうした“ドラマ”に立ち会えるというのは、宴会サービスならではの魅力です。
