ホテル宴会サービスのProfessional Mind
※ブライダル産業新聞11月11日号掲載
ホテルニューオータニ博多(福岡市中央区)の料飲部宴会課支配人・原礼之氏は、1990年に同ホテル入社。バーテンダーの仕事を皮切りに7ヵ所のレストランを経験した後、宴会部門に配属され、バンケットサービスのキャリアは18年に及ぶ。
宴席に参加する多人数の顧客満足のためにスタッフ一丸となって取り組み、無事に終了した時の達成感こそ仕事の醍醐味と語るが、その精神は婚礼現場でも発揮されている。現場視点から新郎新婦の希望を全力で叶えていくという意識が、スタッフ達にも広がっている。

料飲部 宴会課 支配人
(九州B.M.C.)
原 礼之さん
カクテルコンペで九州大会の優勝は7回
ホテルマンだった先輩に憧れを抱いた高校時代、日本を代表するホテルで働きたいという想いから、ニューオータニ博多への就職を志した。学校に求人票は来ていなかったが、就職担当教員にお願いし取り寄せてもらい、試験に合格して入社を果たした。

当時、映画【カクテル】の影響から、カクテルブームでした。私自身もバーテンダーになりたいと考えていて、バーの仕事を希望したところ、運よく配属となりました。
先輩たちからは、バーこそがホテルの顔だと教えられた。顧客はお酒を飲みながら、目の前のバーテンダーに本音で話しかけてくる。ホテルのことを褒めるだけでなく、時には厳しい指摘も投げかけられるなど、顧客の評価をリアルに聞ける場所であるからこそ、ホテルの顔としての意識でいなければならないと。
また、バーテンダーは技術も重要。職人の世界であり、しかも入社した当時の10人の先輩は、全員が様々なコンペのタイトルホルダーで、全国にもその名を知られていた。当然、最初はシェーカーを触らせてもらうことも顧客の接遇を担当させてもらうこともなく、皿洗い、ボトルを磨くという下働きの日々。それでも営業終了後に先輩たちを相手にカクテル作りのロールプレイを重ね、3 年後に初めて顧客の前でカクテルを作り提供した。

3 年目の21歳から、カクテルコンペ出場の許可が下り、私も先輩たちに続きたいと10回挑戦し、九州大会では7 回優勝をして、全国大会に出場しました。残念ながら全国大会でグランプリは取れなかったのですが、全ての大会で入賞しました。
バーテンダーはトータルで13年間勤めた後、レストラン専属となった。ホテル内にある様々なジャンルのレストラン7 店舗を担当し、18年前、宴会サービスに配属された。

不安を抱えながら働き始めた記憶があります。特にバーテンダー時代は目の前にいる個別の顧客とのコミュニケーションを密にしていくという面を大切にしていたのに対し、宴会サービスは多くの人を一度に接客します。例えば宴会場で喫煙可能だった時代、バーやレストランであれば灰皿交換も2 本吸ったらすぐに交換というルールだったのに、宴会ではある程度貯まるまで待っている。100人の宴会であればそれは仕方のないことですが、バーやレストランと比べて妥協しているのではと感じたものです。
一方でレイアウトが毎日変わり、さらに人数もスタイルもそれぞれ異なる面白さ。さらに準備・サービスを通じて、チーム一丸で顧客の希望通りに業務遂行できた時には大きな達成感も感じた。行幸啓、結婚式、学会、叙勲、ディナーショーなど、多岐にわたって経験が積める魅力は、レストラン時代には味わえなかったもので、いつしか宴会サービスの仕事にのめり込んでいった。
現在は宴会部門の支配人として、現場を取り仕切る立場であるが、特に重視しているのは横のつながりも含めたチーム一丸で取り組む意識だ。結婚式の件数もどんどん減っているからこそ、自社を選んでくれた新郎新婦に対して何ができるのかという意識を宴会スタッフであっても強く持ち、情報を共有しながらプランナーからの相談も積極的に受けていく繋がりを重視している。

新郎新婦の希望には、正直難しいということもあります。ただそう言い切ってしまうと、プランナーも『出来ません』としか言えなくなります。まずは現場視点で、『どうすれば出来るのか』を考えるべきで、その結果、実現できれば新郎新婦からは喜ばれます。
例えば矢沢永吉さんファンの新郎から、入場の際にコンサート気分を味わいたいので、高いところから降りてくるような演出をしたいという希望がありました。プランナーから相談を受け、どうしたら出来るかと考え思いついたのが、照明や天井のメンテナンスで使用する昇降リフト。最大5 メートルまで昇りますので、安全面、防災面も配慮しながらプランナーと一緒に練り上げ、当日はライブのような入場となり会場は大変盛り上がりました。
その新郎新婦は、他のホテルでも同じ希望を話したところ、全て断られたそうです。『ニューオータニは親身になって考えてくれ、一生懸命対応してくれて本当にありがとう』と感謝の言葉を何度ももらいました。サービススタッフもプランナーも大変だったからこそ、終わった後の達成感は大きかったですね。
こうした事例を重ねることで、プランナーは相談しやすくなり、さらに現場のサービススタッフも顧客から直接感謝の言葉を聞いて、『どうすれば出来るか考えよう』という意識がさらに高まる。上からの押しつけではなく、スタッフ全員が自ら提案をして行動しようと変化していく。現在は自社スタッフだけでなく、配膳会社の現場人材からも積極的な提案が出てくるほどだ。

部門間や社員・外部の立場で温度差が出ないように、全ての情報を共有しています。以前は結婚式でもキャプテンとプランナーだけで打合せし、後は現場に書面が回ってくるというスタイルでしたが、現在は毎週月曜日にプランナー、一定の役職以上のサービススタッフ、さらに各パートナー企業担当も加え、ミーティングを実施。前週の結婚式の振り返りと共に、当週の申し送りも入念に行い、新郎新婦の希望やどういったところに力を入れているか、だからこの部分は特に慎重に対応して欲しいといった情報共有をしています。この情報を基に、宴会サービスでも披露宴当日までレクチャー、ミーティングをして臨んでいます。
こうした意識改革によって、今ではセッティング中の宴会場にプランナーが新規の案内に入ってくると、現場スタッフ自ら会場の照明を本番同様に切り替え、『ニューオータニでの結婚式をよろしくお願いします』という声掛けをしている。式場決定の決め手として、『新規で来館したときに現場スタッフも含めた全員が気持ちよく迎てくれたあの光景が忘れられない』という言葉も増え、それを現場スタッフ全員に共有しさらに意識が高まっている。

